旅の復習

旅のこと以外も書くかもしれないです

訪問:福岡県大野城市(2022/9)

前哨戦

 日田彦山線に乗ります。

 乗りました。

 後藤寺線に乗ります。

 乗りました。

 原田線に乗ります。

 乗りました。

 さて、今日の宿は大牟田なので……

 逆方向!

本題① 水城

 時刻は18時40分。原田線を完乗した後、原田から大牟田の宿に直行すればいいのに、なぜか逆方面に4駅隣、普通列車しか止まらない小さい駅に到着。まあ、小さいと言っても福岡近郊なので日中でも1時間に3本はあるのだが。

 この駅にわざわざ来た一つ目の理由。それは駅名の通り「水城」。「Googleマップでピンが立ってた」ということだけをモチベーションとしてやってきたので全然知らなかったが、白村江の戦いに敗れた後、天智天皇高句麗とか新羅とかから攻められるのを恐れて造らせた城のようだ。水城駅は小さいながら待合室に水城を映像で説明してくれるテレビがあって、自分は一応迎えられた客なのだなぁと少し嬉しくなった。

 福岡平野の一番狭くなっている部分を塞ぐように堤が続いている。昔は水を張って使っていたから水城と呼ばれたようだ。まさに防衛ライン。東の山の方には市名の由来になっている「大野城」。これも朝鮮から攻められるのを恐れて造ったらしい。

 水城駅のすぐそばに太宰府市との境界がある。この付近では境界が水城の堤に沿って引かれている。

 土木構造物として見ても興味深いようで、砂質土と粘質土を交互に積み重ねる「版築」とか、積む途中に枝葉を加えて強度を増す「敷粗朶(しきそだ)」という工法が使われている。現代の構造物に匹敵する強度らしい。断面の展示もあった。

 とはいえ、もう午後7時なので暗い……東の方には展示館があるらしいので、昼間に来たらそういうところにも寄れるが、今回は水城駅付近をちょっと歩いておしまい。また来たいね。

www.city.onojo.fukuoka.jp

 さて、もう19時。こんなに暗くなって観光できるのか?基本的に夜は暗くて動きづらいし景色も見えないし、もちろん文化施設は多くが閉まっている。夜に一体何をするというのか。

 それは、これだ。今回のもう一つの目当て。

実は下大利駅の写真ではないが

 西鉄連続立体交差事

本題② 西鉄連続立体交差事

 この駅、出来立てホヤホヤ。供用開始は8月28日、私の訪問は9月10日。

 西鉄天神大牟田線雑餉隈(ざっしょのくま)駅から下大利(しもおおり)駅までは、以前は電車が地上を走り道路と踏切で交差していた。しかし渋滞や事故の原因になりやすいので、それを解消するために高架線への切り替えが行われた。それが8月28日のことだ。

 新しいピカピカの駅名表示の一方で……

 以前使われていた地上の線路・ホーム・駅舎は、その姿を保ったまま暗く取り残されている!

 もう使われなくなった線路、ホームの横で、新しい高架の上を電車が音を立てて走り去る。そういう風景。

 連続立体交差事業は大都市圏なら見ようと思えばふらっと見に行けそうだ。東京圏なら多分東武とか京王とかで見られる。しかし、旅行先の福岡でこれを見られたのは嬉しかった。東京とは規模が違うとはいえ、福岡の都市圏が大きいことを感じられたからだ。

 とりあえず夕食にするか。

 下大利駅付近のうどん屋。うまい。本当においしかった。やわらかめの麺と出汁の味が本当に良かった。今後福岡に来たらこれを食べるために下大利まで来てもいい、というくらい。夜の街歩きでこの満足感は嬉しい。

 高架化区間は続く。白いついたての向こうでは、使われなくなった線路が撤去されようとしているはずだ。

 「停止不要」。まだ道路に線路は埋め込まれているものの、もはや踏切ではない。

 高架の直下に旧線路が続く。そしてその上に重機。人工物という感じで良い。

 白木原(しらきばる)駅。開業したてで、まずは仮駅舎での営業のようだ。東京の中央線とか京急とかでもこんな感じだったらしい。

 まっすぐな線路の真上を高架が覆う。

 見づらいが、旧線路が川をまたぐための橋も当然残されている。いずれこの橋も撤去されて、高架橋だけになるんだろうな。使われなくなった橋梁が残っているのもなかなかない機会だ。

 ちょっと寄り道。大野城市役所。向かいに某宗教の会館があった。

 みんなで築こう大野城(飛鳥時代のスローガン)

 春日原(かすがばる)駅。2面4線なので地上に残された廃線の配線も複雑だ。高架化後も2面4線のようで、高架下のスペースは下大利や白木原よりも広くなっている。ちなみにここはもう春日市なんですね。大野城市春日市の役所の近さは日本トップレベルな気がするので、春日市役所にも行こうとしたが、時間がなさそうだったのでパス。

 駅ホーム。ピッカピカの2面4線。バラストがまぶしい。夜の暗い道を歩いてきたからね。ということで、大野城・春日とはお別れ。

 大牟田市到着。本日はここまで。お疲れさまでした。

訪問:大分県津久見市(2022/9)

 音はそれを聴いた時の記憶と結びつく、と思う。例えば、私が津久見に訪れた時の記憶は、駅で流れていた「なごり雪」というメロディーから始まる。人の疎らなコンコースで静かに流れていたメロディー。作詞作曲が津久見市出身のようだ。私はそれを一通り聴いた後、自転車で津久見の街を見て回った。空も青ければ、沿岸の工場群に面した海も青く、その青を背景に白い雲と石灰石鉱山の露出した岩肌が光る、そんな街だった。季節は全く違うが、「なごり雪」から連想する白のイメージを街に重ね合わせてみた。それが私の津久見に対する印象だ。私が津久見駅を離れる時も「なごり雪」が流れていた。「なごり雪」は別れの曲だ。私はまたこの辺りに来ることはあるのだろうか。名残惜しさを感じながら2両編成の電車に乗り、次の街へと去って行った。

謎回想は置いといて、本題

 佐伯(→前の記事)を発ち、お次は津久見

 津久見駅。音鉄なので「なごり雪」が流れるという点で認識していた。当たり前だが、ホームが駅メロ動画で見たのとそっくりだった。と言っても特徴的なのはみかんの輪切りがあるくらい。みかんの生産が盛んらしい。

接近前に流れる「なごり雪」の歌詞。サイン付き。

 メロディーを収録。良い曲だ。音量はかなり小さいが、これくらいが落ち着いてていいのかも。メロディーを録り終わったところで、駅前の観光案内所で自転車を借りて出発。

 駅からすぐのところに港がある。工業景観だなぁ。

 戸高鉱業のホイールローダー津久見は日本一の石灰石の産地だ。厳密な市町村別の統計は知らないけど、大分県石灰石の生産量は日本一だし、大分県石灰石鉱山といえば津久見くらいしかイメージがないし、多分そうなんだろう。

 ということで、今回津久見に来た(駅メロ以外の)目当ては、この石灰石鉱山と工場のある街並みだ。

 セメント町。そういう住所です。産業がそのまんま住所になっているのは産業との繋がりが感じられて良い。同じくセメント産業が盛んな宇部市にもセメント町という住所がある。(ちなみに、今回の旅行ではこの後で大牟田市に行ったのだが、そこにも「合成町」という産業に即した住所があった。)

 石灰石輸送のためのパイプライン。素晴らしい。産業が街の景観に取り込まれているのは好き。

 このパイプラインは、日豊本線より山側にある石灰石を、線路をまたいで海側の工場まで送っている。津久見市は、地質図(→地理院+産総研地質図)を見ると分かる通り古生代石灰石が露出していて、純度が高く推定埋蔵量も45トンに及ぶ優良な鉱山となっている。そして、その地質が海に近いので、生産した石灰石を港まで持って行きやすい。さらにこの辺りはリアス海岸、つまり谷が沈水した地形なので、岸からすぐに水深が深くなり、大型の船が入るのに適した港となる。この2つの条件が合わさって、産出した石灰石の輸送にも有利なのだ。

 かなり新しめの道路。トンネルの銘板は2015年だった。左には採掘された山、右には工場で、まさに津久見の産業を表す通りだ。

 下り坂を自転車で突っ走るのは気持ちがいい。トンネルを抜けたところにもパイプライン(ベルトコンベア?)があり、鉄道の高架橋みたいな見た目をしていてかっこいい。

 最高のサイクリング・デイという感じだ。湾の向こうに工場が並ぶ。夕方~夜に来たら優れた景観が見られそう。

 いいバス停名。

 さて、最終的には津久見駅に戻るので、さっき下り坂を気持ちよく突っ走った分の借りを返さないといけないんですよね。ということで、かなり急な上り坂を上ることに。電動アシスト自転車にすれば良かった……(観光案内所で1000円で借りられたのだが、300円の普通の自転車を借りてしまった)

 ヒイヒイ言いながらトンネルを上って超えた先の景観。相変わらずデカいパイプラインと人工的に削られた山だ。

 新津久見鉱山。トラックが続々入っていた。

 日鉄専用道路。ここからは立ち入り禁止のようだ。頭上のパイプラインとともに地面にも太い管があった(水道管だったような気がする)。

 自転車を走らせていると、「石灰焼き発祥の地」の案内を発見。説明には「ご存じのとおり、豊後国での石灰焼きの始祖といえば『焼石又平』で……」とあるが、大分県の人(あるいは津久見市の人)にとってはそんなに有名なのか?

 津久見市での石灰産業は江戸時代の終わりごろから下青江地区や徳浦を中心に行われてきたようだ。豊後国での石灰産業は1778年で、その又平という人が今の岐阜県で技術を習得して今の臼杵市の辺りで焼き始めたようだ。津久見での石灰焼きが始まるのはその13年後のことである。なお、石灰焼き発祥の一つの言い伝えとして、朝日寺で和尚が石灰焼きを偶然発明したというものがあり、「石灰焼き発祥の地」はその朝日寺の跡地。

 あまり見るものはないが、発祥の地までの上り坂の途中から見る景色は気持ちいい。

 「はちのへ」ではなく「やと」。谷戸が由来かもねぇ。

 津久見市役所。老朽化が進んでいるが金がないので、逆にお化け屋敷風にアレンジした動画でアピールしてふるさと納税を募っているとか。工場からの税金で何とかならないのかな(財政何もわからん)。

 津久見駅前の通り。良い雰囲気。ラーメン屋のワンタン麺が餃子みたいで美味しかった。せっかくなのでこの後近くのJAに行き、大分の柑橘を使ったジュース(500mLペットボトル100円、安い)と津久見のみかんのドライフルーツを購入。

 駅前の公衆電話ボックスが大正期っぽい装飾(?)になっていて良い感じ。観光案内所に自転車を返却して、そのまま電車に乗った。

 津久見とはお別れ。車窓にも削られた鉱山の景観が広がっていて、夏。

インターネットで調べたもの

石灰石・セメント産業|津久見市観光協会のホームページへようこそ!!

津久見の石灰鉱山|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産

津久見市 - Wikipedia

訪問:大分県佐伯市(2022/9)

 佐伯はちょっと寄っただけって感じなので、この項目はちょっと短め。←文字数調べたら前の延岡の記事より多かった。

延岡発佐伯行き普通列車の車内から

 おはようございます。一日2本の延岡からの普通列車で佐伯まで来ました(→この前の延岡の記事)。重岡から高校生が大量に乗車したのが印象的だった。毎日特急車両で通学は羨ましいが、一方で朝便は7時前の1本だけなので、6時起きで絶対間に合わせないといけないのが大変そうだ。

 佐伯に着いても、まだ朝7時半だし大して何もできないんですね。今回は津久見を見たいという気持ちが強いので、9時半には去る予定。佐伯城とか行っても開いてなさそう。とりあえず朝食を取ってなんとなく市役所に向かう。

道中にあったファミマ一体型ハウス。なぜかピントがボケている。

役所

 最初の1時間くらいは朝食の調達と市役所収鋲で終わった。役オタでないくせに「とりあえず行くか~」の気持ちで役所に行っちゃうの何なんだろうね。市役所のある中心部は普通の地方の都市って感じだった。佐伯駅から遠め。

廃線跡あるある:歩道のくせに造りのゴツい橋

 さて、本質です。

野岡緑道

 やっぱり緑道は本質を含んでいるなぁ、になった。野岡緑道は佐伯駅から伸びていた興人(化学繊維の企業)への専用線の跡を転用した緑道。さらに昔は佐伯海軍航空隊の物資運び込みのための専用線だったらしい。佐伯駅の東側一帯は昔はだいたい海軍の土地で、野岡緑道沿いのこの辺りも海軍の倉庫だったようだ。

廃線カーブ、ですね

右の藤棚が廃線跡

 佐伯重工業のクレーンが見える。工業景観は気持ちいいね。

 鶴谷鉄橋広場。辿れるのはここまで。ここから先に行っても興人くらいしかない。

廃線跡あるある:歩道のくせに造りのゴツい橋(2回目)

 廃線跡は歩き終わり、もう駅に戻ってちょうど良い感じの時間なので、駅の方へ。途中で佐伯重工業の前を通った。風格があった。

 なんか駐車場にあった謎の構造物。いかにも戦争の遺構だ。ネットで見つけたpdf(記事末にリンク)にも似たような地下壕が記されていた。軍都だから戦時中は狙われたようだ。この辺りには掩体壕もあったっぽい。

 この地下壕が掘られている岩肌は濃霞山の斜面。すぐ近くには濃霞山の入口の階段があった(写真はない)。この階段は昔の(海軍の?)病院の跡だとか。海軍の門もあったらしい。入口から数分くらい登れば展望が開けるようなので、ちょっと登ってみた。

 佐伯重工業のドックを望むことができた。デカい。平日9時、ちょうど働き始めの時間だろうか。下の方にたくさんの人たちが働いているのが見えた。この辺りは海岸線が入り組んでいるので海を挟んで奥に陸地が見えるし、島も多い。これはとても印象的な景観だった。

 佐伯市の造船はここ以外にも2社ほど大きい企業がいるらしい。やはり軍都であることに由来しているのかと思ったのだが、調べてみると、たしかに戦前から地場工業として木造船は造られていたものの、本格的な鋼船建造を行う企業がやってきたのは戦後らしい。関連企業が数多くあって町の産業を支えているとか。

 ゆっくり見ていたら時間が無くなってしまったので、急いで佐伯駅へ向かう。

ギリギリで間に合った車内から撮影

 今度来た時は佐伯城とか大入島とかかな。

インターネットで調べたもの

佐伯市戦争遺跡 濃霞山-長島山-興人 - 全国遺跡報告総覧

結構詳しく書かれていそうだったのでちょっとだけ覗いた。

すごいぞ!佐伯の造船 / 佐伯市

すごいぞ!すごいらしい。進水式に立ち会えたらすごそうだ。

訪問:宮崎県延岡市(2022/9)

 限界おでかけ人間にありがちなことだが、泊まった町は泊まるだけであまり観光できない。少なくとも自分はそうだ。17時頃に文化施設などが閉まってから寝るまでの間や、起きてから9時頃に文化施設などが開くまでの間が暇なので、そこを移動に充てたりすることが多い。結果、宿泊する町は夜に着いて朝出るため、あまり観光しなくなってしまうのだ。

延岡駅

 2022年9月、免許合宿を終えた後、私は延岡市に到着した。卒業検定に合格するかが不安だったので直前まで宿を取れなかったが、なんとか部屋の空きがある宿を探し出して確保。夜20時に延岡駅にたどり着き、そのまま宿に向かった。翌朝乗る予定の列車も朝早い。鉄道ファンにはお馴染みの「宗太郎越えをする普通列車」、6時10分発の佐伯行きだ。やはりこの町も、夜に来て朝に去るだけの町、ホテルだけを目当てにした町になってしまうように思われた。

 しかし、わざわざ来た町で何もせずに去ってしまうのは寂しい。少しは歩き回ってこの延岡という町を知っておきたいものだ。地図を見ると城跡が公園となっていて、早朝も開いているらしい。それなら、少し早起きして、荷物はホテルに置いたまま爆速で城まで行って、戻ってきて、ホテルの荷物を取って6時10分発に乗ろうではないか!

朝5時の延岡

 朝5時。おはようございます。

五ヶ瀬橋を望む

 朝焼けが綺麗。日向国だからね。

 市街地が結構デカくて驚く。あまり意識していなかったが、延岡市は宮崎県第三の都市で、人口は10万を超える。どうりでそれなりの規模のビルの連なり、中心市街地の広がりが見られるわけだ。しかし朝はまだ暗いため写真をあまり撮っていなかった。

延岡市役所

 市役所だけは律儀に撮っているんだなぁ。

 五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれて島のようになっている場所に、延岡城の跡の山が立っている。まさに要害という感じだ。そしてその山の下、及び五ヶ瀬川を超えて延岡駅にかけて中心市街地が広がっている。五ヶ瀬川の上流には有名な高千穂峡がある。また、後で知ったが、この辺りでは畳堤といって、周辺住民が畳を差し込むことで堤防のかさ上げを行うことができるタイプの堤防が現存しているらしい。すぐそばだったので行けばよかった。

 大瀬川の方は、中心市街地の少し上流で五ヶ瀬川から分流する。この分岐では水の多くが大瀬川の方に流れるようだ。ちなみに大瀬川の南には旭化成の工場が建っている。旭化成は延岡発祥で、延岡市企業城下町の側面を持っているようだ。

延岡城北門

 延岡城は鉄砲の普及による戦術の変化によって、延岡藩高橋元種によって1603年に築かれた、県内最大の近世城郭。城山に内堀を作りつつ、北の五ヶ瀬川と南の大瀬川を天然の外堀としている。

デカい

 北門から入ると早速デカい石垣がそびえる。千人殺しの石垣というらしい。高さ19mで、礎石を外すと崩れて千人の敵を倒すことができるとか。

 天守跡。誰かの像が立っているがよく分からない。

 三階櫓跡。城山の角にあって、現存していた頃は見晴らしが良かったのだろう。

 公園のルートに沿って歩くと展望が開ける。延岡の皆さんおはようございます!!!ちなみに時間がなく、普通に走っております。

 鮎やな。鮎ってどこの川でも売りにしているイメージがありますよね(元厚木市民)。

 山下新天街。全蓋アーケードで結構規模が大きいようだが、早朝なので静まり返っていた。

延岡からの佐伯方面への普通列車は、朝と夜の2本のみ

 ホテル到着後、急いで荷物を回収して延岡駅へ。朝の散歩(ランニング?)としては結構満足度高めだったが、爆速観光をしたので汗をかいてしまった。今度来たらもっとゆっくり見て回ろう。

訪問:鹿児島県湧水町(2022/8)

動機・経緯

 宮崎での免許合宿の前日。せっかくなので吉都線を乗りつぶそうと思い、鹿児島空港に到着した。そこから中福良駅までゆっくりと歩けば間に合う……はずだったが、気が付くとかなり時間が経っていたためダッシュせざるを得なくなり、要入浴状態になりながら肥薩線に乗車した。

空港アクセス駅です(狂気)

 ただ、このまま乗っていても、吉松駅での吉都線の乗り継ぎで時間が余りそうなので、栗野駅で降りることを考えていた。栗野駅を選んだのは、湧水町の「湧水」の部分を見ることができそう&中心部にありそう、がモチベ。

訪問① 栗野駅周辺

 駅を降りたらすぐに目に付く「丸池湧水暗渠」の文字。駅前には🆗親水広場。もうこの時点でテンション爆上げ。

 いきなり煉瓦暗渠の連続出現。最高かな?

煉瓦暗渠を泳げるとは贅沢なコイだねぇ

 駅前の親水広場から水路が伸びていて、水路が煉瓦で覆われた橋がいくつも続く。コイも泳いでいて、もうこれだけで素晴らしい雰囲気。来てよかった!

煉瓦暗渠の水路は、奥側にある柵の辺りで再び顔を出す

 写真は撮っていないが、この先で水路は団地の中を進んでいく。ここで少しそれて川内川へ。

 ダンスロボットダンス?

 川内川はその名の通りここから薩摩川内の方に流れていく。この辺りの水は肥薩線側に流れるような気がしていたので意外だ。しかも宮崎県えびの市の方から流れてくるらしい(確かに、この後で乗った吉都線でも吉松からえびの市にかけて県境をまたぐ感じはしなかった)。

 湧水町役場。役場前にもやはり水路。

 基本的に道に埋まっているけど一部が露出していて、ご丁寧にそれぞれが良い感じの木の柵で囲まれている。全て暗渠にすることもできただろ。それだけ水路をアピールしているということだな?最高。

 階段で水路のそばまで降りてボックスカルバートを覗くことができる。最高。この暗渠を辿ると最初に訪れた栗野駅に着く。

 さて、駅舎と反対の駅の南側を見ていこう。

 池ですね。めっちゃ透き通っている。これが昭和の名水百選にも選ばれた、霧島山麓丸池湧水。上水道の水源で、栗野地域の生活用水として使われているらしい。水汲み場があって、飲用可能な水質らしいのでペットボトルに汲み取って飲んだ。ほとりの小屋ではアイスを売っていて、ちょっとした観光地になっていた。

綺麗

 この丸池湧水の水を、肥薩線の線路の下を通して駅前の広場に引いているのが丸池湧水暗渠というわけだ。そして、その先で最初に巡ってきた水路に流れていく。そりゃ透き通っててコイも泳ぐわけで。ちなみに肥薩線には線路の下に水を通すための暗渠がここ以外にもたくさんあるらしい。

 丸池湧水をうろうろしていたらもう次の列車の来る時間になった。たった1.5時間程度の滞在だが、とても良い体験だった。

訪問② 吉松駅周辺

 さて、吉松駅にたどり着いた。ここもまだ湧水町だ。ここでは先ほどのような水路的な面白さはあまり見つけられなかった。どちらかと言えばこちらは鉄道の町だ。昔は熊本から鹿児島のルートは吉松駅を経由する肥薩線のルートで、また宮崎から鹿児島のルートも吉松駅を経由する吉都線のルートだったので、熊本、宮崎、鹿児島の各方面からの交通の結節点だった。機関区が置かれ広い構内を持ち、周辺には鉄道職員など多くの人が住んだという。

 しかし、熊本から鹿児島の鉄道は、水俣など海沿いの町を通る鹿児島本線(のちに新幹線が開通し、在来線は肥薩おれんじ鉄道になる)、宮崎から鹿児島の鉄道は、都城から隼人まで海側を通す日豊本線に移り、吉松駅はローカル線の結節点になる。今となっては、無人化され、肥薩線人吉駅から吉松駅の間も災害で不通となり、静かな途中駅の雰囲気となっている。周辺には鉄道ギャラリーや開通記念碑などがあり、鉄道で栄えた町の歴史を伝えている。あまり写真は撮らなかったが……

 時間を持て余しそうなので、駅前の温泉に入ることにした。周辺には他にも霧島温泉や京町温泉などがある。この辺りは霧島の火山の地熱によって温かい水が湧き出しやすいということか。湧水町訪問前の最初の異常ダッシュにより異常発汗人間となっていたので、入浴できて良かった。

暑すぎて列車も水浴び

 吉都線を乗りつぶすため吉松駅を離脱。湧水町はここまで。